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ブックマーク・気が向いた時の、ちょいメモ。

虐待されていた自分の反応に気づく c71の日記

c71の日記 
おしゃれには型があり、学ぶことができる より

わたしが手を上のほうに上げても、赤ちゃんはびくっとしない。
それは、わたしが赤ちゃんをたたいたことがないからだ。
ということに気づくということは、わたしは母にたたかれていたということだった。
窓を閉め切ったままにしていると、気が狂いそうになるのは、母がわたしに怒鳴る前に、家中の窓をバタバタと大きな音を立てて閉めていたからだ。外に音が聞こえないようにするためだ。

わたしは、母から、人を虐待すると人がどうなるのかを学んだ。
そして、服を着るということは学べなかった。
(今、パソコンを買ってもらったことを思い出して、混乱している。パソコンは買ってもらえた。下着や服や、ブラジャーを買ってはもらえなかった。それなのに、いい母親だと思いたいのだ)
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買ってはいけないと言われていた服を大人だから買った より

ふわふわのシャギーのセーターと、やはりふわふわのワンピを買った。
実家では、自分の好きな服を買ってもけなされ、返して来いと言われていたので、おしゃれをするのが怖かった。
ふわふわのニットなんて、わたしには似合わないと思い込んでいた。
一緒に大学生活を送った友達は、ずっと渋谷で買い物をしよう、これも似合うよ、とかわいい服を勧めてくれたのに、わたしは「怖い」と言って断っていた。
それほど、わたしの心の中は母親に占められていた。
子供を産んで、わたしの親は、本当にひどいことをわたしにしていたのだとわかった。
(中略)
ボロボロの服は、自尊心を削られた。
どう考えても、貧乏ではないのに、誰も着ていないような、時代遅れの服はつらかった。みじめだった。
ふわふわした服は、汚れる、誰が洗うんだ、似合わない、ファッションショーに行くわけでもあるまいし、色気づきやがって、など罵倒された。

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